医薬品ができるまで  / ホーライ製薬 / ハードボイルド・ワンダーランド日記

ホーライの治験日記(7)

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【本と旅する】


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新入社員の皆様へ

どうですか?
会社、病院、役所、学校、新しい世界に入って半年が経ちました。

製薬会社では基礎研究部門から製造部門、開発部門、販売部門といろんな分野で活躍中と思います。

CROやSMOの方は、自分が勤めている会社だけでなく、他の会社、病院との方とも共同で働くようになりましたでしょうか?

公務員の方や準公務員の方は、企業との対応マナーを身につけて頂けましたでしょうか?


さて、皆さんはようやくこの業界に足先をつけ始めたばかりです。
体に馴染むまでは5年以上かかるでしょうか。

でも、あと半年で先輩です。
半年後には、否が応でも皆さんは先輩になります。

あなたはどんな先輩になりたいでしょうか?
あなたはどういうことを教えたいでしょうか?


ひょっとしたら、ある人の一生を左右しかねない立場になります。

社会人1年生にとっては、社会人5年生も2年生も変わりがありません。


あと半年で考えておきましょう。


僕も考えておきます。

仕事が面白いことをどうしたら伝えられるかを。




2005年10月29日
「毒」は薬の宝庫

現在、薬として使われているもののオリジンを辿ると「毒」から発見されたものが多い。
たとえばツボクラリン。

ツボクラリンとは抗痙攣(けいれん)薬などに使われているものだが、もともとは南米の先住民族が「矢毒」として用いていた植物から発見された。

ほかにも植物の中では最も猛毒で知られているトリカブトの塊茎にあるアコニチン(局所麻酔作用など)。
最近ではボツリヌス毒素から得られたボツリヌストキシンが「シワ取り」として美容整形などで使われている。

もともと毒性を持っているということは人間の体に作用する、ということだから、それを希釈して使えば、薬としての価値を見出せるものが多い。


ところで、毒を持った人間というのはどうだろう?
毒舌をはく人。
Yes manじゃない人。
組織に迎合しない人。

希釈したら使えるかな?

一番いいのは、自分で自分の希釈方法を知っていればいいのだが、知らない場合は、組織がうまく使いこなせるかどうかだ。


トリカブトは生薬としてはブシ(附子)として使われるが、このブシを使いこなせると、一流の漢方医と言われている。


毒には毒をもって制すという言葉もありますが。。。。


2005年10月23日


「仕事」ができるまで

ひとつの「仕事」が完成するまでには、多くの困難がつきまとう。
ひょっとしたら、未完の仕事のほうが世の中には多いのでは?と思うくらいだ。

人という物は何故か、仕事にこだわりを持つ。(こだわりを持たないほうがまずいかな。)
そのこだわりの持ち方とか、向いている方向が、人それぞれで違う。

「仕事をする」ということは、他人の価値観との戦いである、と言ってもいいくらいだ。
そして、おもしろいことに一番の強豪は、あのライバル会社でもなく、こっちのライバル会社でもなく、自分の会社の中にいる人たちであるということだ。


たとえば、会議ではかならず文句を言う人、かならず否定する人、絶対に代替案を提示しない人、自分の意見を断じて曲げない人。。。。
会議では何も言わないが、メールでは色々と批難する人、批難だけ書いて「論じる気持ちはないので返信は無用です」と書いてくる人。。。。
驚くほど、いろんな人がいる。


これだけ色々といる「人種」の集合体が「組織」である。
そして、その「組織」にもいろいろある。


例えば「個人攻撃を好む組織」というのがある。

「個人攻撃を好む組織」とは、ここでは『「個人攻撃を好む組織がある」と言うけれど、それは、攻撃される人にもそれなりの理由があるからでしょ」という人が多い組織』と仮定しておこう。

これは、あくまでも話を進めるためのここだけの暫定的な仮定です。


上の組織とは反対に「個人攻撃を好まない組織」というのもある。


この2つの組織の反応の違いは、たとえば人がミスをした時に分かりやすい。

前者の組織は、そのミスを必ず、突いてくる。それも狙いが定められた人は、些細なミスであってもだ。


一方の組織は「ミスは誰にだってあるからね。」と、それほど、突っついてこない。


この両者のどちらが企業的に、組織的に成功するかは僕には分からない。
ただ、組織はどちらかの傾向にあるというだけだ。どちらを好むかも、個人によって違う。


「医薬品」ができるまでも大変だが、「仕事」ができるまでも、色々と大変である。



2005年10月16日
ブレークスルー

スウェーデンのカロリンスカ研究所は3日、2005年のノーベル医学生理学賞を、胃炎や胃かいようなどの原因となるヘリコバクター・ピロリ菌を発見した西オーストラリア大のバリー・マーシャル教授(54)と、病理学者のロビン・ウォーレン博士(68)に授与すると発表した。

ピロリ菌は50歳以上の日本人の約8割が感染しているとされる。
胃炎やかいようは従来、ストレスや生活習慣が主な原因と考えられていたが、2人の発見をきっかけに研究が盛んになり、抗生物質を使って菌を取り除く簡便な治療法に道が開かれた。


ときどき、このようなブレークスルー(breakthrough)が起こり、飛躍的に病気の治療が発展することがある。

いつ、どのようにして、ブレークスルーが起きるのか。
だいたいにおいて、科学の世界では偶然、たまたま、ということが多い。

もちろん、最初から計画的に実験を行い、ブレークスルーに繋がることもあるが、それも、実験中での「うっかりミス」によることがある。

このあたりが、科学の面白さだ。

「科学的に」と言った時、それは「偶然」とか「たまたま」と言ったことから、最も遠い位置にあるはずなのに、その科学の歴史そのものが「偶然」と「たまたま」で成り立っている。
科学の歴史は失敗の歴史と言ってもいいくらいだ。


もちろん、その偶然を見逃さない科学者の目と、その「偶然」をきっかけに行う忍耐強い実験は必要だ。

でも、まぁ、しょせん科学的に、と言っても、それは人間の行いうる範囲のことだ。
神や創造主に比べたら、他愛のないことかもしれない。


最も人間臭い学問とは、「科学」なのかもしれない。



2005年10月10日
ピンクリボンキャンペーン

今年も、例年通り、このサイトも「ピンクリボンキャンペーン」に参加する。(と言っても、トップページにリボンを載せるだけですが。)

乳癌は検査技術、切除手術、化学療法などが進歩して、早期発見ならほとんど治癒する。
この「早期発見」は、乳癌に限らず、どんな病気でも大切だ。

その大切さをアピールするために「ピンクリボンキャンペーン」は1980年代にアメリカで始まった。
このようなキャンペーンというものは、継続する必要がある。
地道だが継続すれば、徐々にその活動の意図が確実に広がる。


乳癌の治療薬もかなり増えた。
それぞれのステージで、効果を発揮している。(これは実感している。)
それでも、当然だが早期発見に優る治療薬は無い。


治験も、その意義を一般の方々に伝えることが大切だ。
どんなにCRCの方が増えても、どんなに病院がネットワーク化しようとも、どんなに製薬会社がCROがSMOが人件費を投じようとも、患者さんの協力無しには、絶対に治験は進まない


治験も継続してキャンペーンなどを展開する必要があるだろう。その効果が一年や二年で出なくてもだ。
ピンクリボンキャンペーン」は既に20年以上継続している。
治験だって、それくらい継続する必要がある。
僕の孫が成人する頃には、効果が出ているだろう。(って、まだ孫はいませんが。)

治験推進5ヵ年計画も大切だが、治験推進20ヵ年計画も大切だ。

僕達も、20年後の治験がどのようなものになって欲しいかを考えながら、日々の仕事に取り組もう。


2005年10月2日
モニターにとって大切なこと

ある新卒のモニターが、新人研修が終わって、こんな感想を述べていた。

「最初は、いかに自分を治験責任医師から信頼してもらえるか、ということばかり考えていた。でも、研修の途中から『いかにして患者さんの安全性や人権、福祉を守るか』を考えるようになった。」

もちろん、モニターはCRCの方や治験責任医師、分担医師から信頼されないといけない。
しかし、その向こうにいる治験参加者を守るということのほうが、ずっと大切であることに気づかないし、気づきにくい。

新人の研修ではGCPやヘルシンキ宣言の研修を通じて治験(臨床試験)参加者の人権、安全、福祉の保護という『言葉』を学ぶ。
でも、それだけではどういうことか分からない。
それらが大切なことだとは分かるが、どれだけ大切かは“本当”には分かっていない。
どうしたら守れるかは、もっと分からない。

そこで、ロールプレーやケーススタディ、シミュレーション研修などを通じて、何度も、いろんな角度から患者さんの安全性確保の重要性と守り方を学ぶ。(学ばせる。)


こうして、新人はモニターにとって大切なものが何なのかを肌をとおして感じてくる。

患者さんの安全性を守れないようでは、CRCや治験責任医師らからの信頼も得られないことも、分かってくる。


2005年9月24日
医薬品の安全性に関する諸問題

(新)モニターのための情報源」にも書いたが、9月16日に有った「医薬品の安全性に関する諸問題」(公定書協会主催)に行ってきた。

キーワードは3つ。

(1)IT化

(2)妊娠と薬情報センター

(3)重篤な副作用に対処するマニュアル作成



講演者も言われていたが、「攻めの安全性対策」になっていくようだ。
手法としてはデータマイニング手法などを挙げていた。
また、カナダのトロント大学から妊娠と薬のデータベースも入手したらしい。来月(10月)からは国立成育医療センターで、研究が開始されるとのこと。


副作用に対処するマニュアルも一般市民の皆さんにも分かるバージョンを作る。


う〜〜ん、やるな。

しかし、いずれにしても医療機関、学界、製薬企業、行政のそれぞれのチームワークを必要としている。
もちろん、患者さんのご協力も不可欠。

治験ではごく限られた条件で、それほど多くない患者さんに治験薬を使うだけなので、安全性(副作用)の情報には限界がある。

副作用が起きないに越したことは無いのだが、もし不幸にも発生した場合は、被害を最小限に抑え、さらに再発防止が必要だ。


今後の、この分野での情報収集システムと副作用発現抑制システムが発展することに期待したい。

それにしてもだ、やはり、このような規模のことは「国」レベルでないとできない。
民間ではなかなかできない。
もちろん、システムが軌道にのったらそれを民営化するというのもできるが、最初の立ち上げは難しい。

何が難しいかというと、まず予算(お金ね)。
次に協力要請。
民間が国立病院や全国の病院に協力を要請してもね。。。。。


今後も、行政サイドには強いリーダーシップを期待したい。
(あ、僕ら民間も何かいいアイディアが浮かんだら、行政に話を持ちかけるという手もあるからね。)


2005年9月18日

あなたに過敏症

総合機構の実地調査などで担当官が言う言葉に、薬業界は過敏に反応しているのではないか? と思うことがある。

慣れっこになっている申請者(治験依頼者)ならいいのだが、初めて実地調査を受ける人は「総合機構」の人が言うことが全て正しいと思い込んでいるかもしれない(杞憂ならいいけれど)。

いくら総合機構の人と言っても人間なのですから、完璧なことを全て言っているわけではない。
僕もイヤというほど実地調査や書面調査に立ち会ったことがあるが、単純に興味本位で聞いていることもあるし、背景を知りたくて聞いていることもある。

そのあたりのことを良く知らないで、実地調査を受けた会社の人が業界の集まりで調査の様子を報告することがある。
ここでまたバイアスがかかったり、あるいは集まりに出た人が新人だったりすると、ますます情報が混乱してくる。

いちいち大騒ぎしないことだ。
実地調査の時にも自分たちが正しいと思ってやったことは、その根拠を含めて正々堂々と答えればいい。

僕も過去に2回、同じ指摘を受け、自分たちは間違っていないという旨の回答書を出した。
そして、3回目の実地調査の時はあらかじめ指摘を受けないように、その回答を事前に発表しようとしたら、機構の担当官が「あ、それはもういいです。」となった。

ときには、自分たちの仕事をやりやすくするためにわざと機構の人に指摘されやすくしておくという「荒業」を使うこともあるが、基本的には、自分たちがどうして、これで問題無いと考えたかをきっちりと伝えることだ。


今後、FDAのように企業から総合機構へ『転職』する人や総合機構から企業へ『転職』する人が多くなってくるだろう。
そのうちに企業→総合機構→企業(あるいは総合機構→企業→総合機構)というように、渡り歩くスペシャリストが出てくることを僕は期待している。


過敏症になると、時間を浪費するよ。


2005年9月11日

夏が過ぎて

夏が過ぎて、これからは各地で学会のシーズンだ。

先週も紹介した日本医師会の治験促進啓発シンポジウムや、「第5回CRCと臨床試験のあり方を考える会議 2005 in 横浜」もある。

このようなシンポジウムに参加する意義は何だろう?

まず、第一に知識の修得がある。
次に「触発」がある。
「なるほど、こんなことをやっているのかな。凄いな〜〜!」とかね。

でも、ここで終わってはいけない。
「よし、ならば、もっと凄いことをやってやるぞ」と、ここまで行こう。

治験や医療、薬業は法律でがんじがらめだが、それでも工夫しだいでまだまだいろんなことがやれるはずだ。

学会やシンポジウムで新しい知識と刺激を仕入れてきたら、さっそく、自分たちはどうするかを考えてみよう。
ただ、学会に行ってきました。こんなことをどこそこではやっています。というような報告書を書いて終り、とならないようにね。

そこから発展させて、何ができるのか?
考えるポイントはとりあえず、次の2つに絞って考えてみよう。

もっと治験の質を上げられないか?
質を下げずにもっとスピードをあげることはできないか?


ホーライ製薬のサイトでアンケートを取っているが、多くの人が3年前より質は上がったと答えており、スピードだって、まだ速くなる余地があると考えている。

考えているなら、それを実行しよう。
「そんなこと言ったってさ、大変だしな。」と考える人は「政治家」を批判する権利はない。

「選挙の時ばかりは、いいことを言うけれど、実際には何もやってくれないし。」と思う人もいる。
「うちの上司は決断力と行動力に欠けるよな。」と言う人もいる。

はい、そういうあなたが決断して、行動して悪いことは有りません。


夏も過ぎ、涼しい日々が続いて、これからは「考える」には丁度いい季節です。
考えたら行動してみましょう。(僕は考えずに行動して、ヒンシュクを買ってますが。)


世の中って、そんなにたいそうなもの?



2005年9月4日

やるリスクとやらないことのリスクの大きさ

日本医師会 治験促進センターが、平成17年9月9日(金)に治験促進啓発ためのシンポジウムを開催する。
詳細 ⇒ 「日本医師会 治験促進センター」のサイト

上記のサイトによると……

昨年の産官学合同フォーラムのテーマであった「治験とは」から内容を一歩前進させ、今年は「治験の実際」に焦点をあて、将来へ向けた「夢のある治験」をテーマといたしました

……とのこと。 よしよしと思う。

一歩前進だ。
ひとによっては、「え!?なに、まだ『治験とは』なんてやっていたの?!」と思うかもしれない。
しかし、現実はそんなもんだ。

「医師主導方治験」については、この日記でも何度も触れてきた。
最初の頃は、製薬企業側は冷ややかな態度が多かった気がする。(今も、きっと多いだろう。)

しかし、言葉として定着し、制度もでき、実際にいくつかの治験が走り始めると、様子が違ってくる。

企業は考えるはずだ。「医師主導の治験として実施したほうがいい、あるいは、そのほうが製薬企業にとっても得策な治験とは?」ということを。

制度としてできたものを放っておいてもいいのだが、それを自分たちにとってどのようなメリットが有るかを真剣に考えてこそ、『企業』なのだ。

そして、このようなことを考えると、必ず次の結論をだす会社が半分以上ある。
「まだ時期尚早だ。」「まわりの情報を集めてから考える。」「メリット、デメリットをよく見極めてから判断する。」

なるほどね、よく「政治家」から聞く言葉だ。

決断の先延ばしは、目の前のリスクを避けることを優先していることが多い。
しかし、決断しないことのリスクというのもある。

ビジネスでは、まず、だれもまだ目をつけていないところに目をつけた人の勝ちだ。
基礎の研究家でも「まわりの情報を集めてから」やっていては、「オリジナル性」を問われてしまう。

会社全体で「独創性」や「イノベーション」と言っておきながら「まだ時期尚早だ」と言うのは矛盾していると思う。


ノーベル賞を狙っている人が「まだ時期尚早だ」と言って、研究をやめるだろうか?
全く、逆だ。誰も手をつけていない分野を開拓する人が、真の研究家だ。

ビジネスも「時代を先取り」するんじゃなかったっけ?

日本医師会では『将来へ向けた「夢のある治験」をテーマ』としているが、これこそが、企業が追うべきもんではないだろうか。
「夢」を追うのは素人で企業は「現実」を追うのだ。……そう、そのとおり。そして、夢を現実化させることこそが、企業家(起業家)精神では?



「医師主導の治験」の今の制度から何ができるかを考えてもいいが、「医師主導の治験」なら「こんなことができるはず」ということを考え、そのためには、現行のシステム、制度では難しいのならば、そこから、今の「医師主導型治験」の制度を変えていけばいい。



日本人はリスクを取らないことのリスクを考えるのが苦手とみえる。(そういう僕も日本人。)


2005年8月28日

マイナスを見るか、プラスを見るか

薬は必ず副作用が有る。
医師はその副作用と効果を秤にかけて薬を使うかどうか判断する。

治験においても「同意」を得る場合に説明する文章に「予測される効果と副作用」を必ず記載することになっている。

日常診療においては、主に医師が薬を使うかどうかを判断するが、治験においては患者さんが説明を聞いて判断することになる。

この時に、それぞれの患者さんの日頃の「考え方」が反映されるのではないかと思う。
つまり「治験薬の効果」というプラスを主に見るか、「治験薬の副作用」というマイナスを主に見るか、という「モノの見方・捉え方」が、最終判断するときに大きく影響するのではないだろうか。


ザックリと言ってしまえば、人間には「プラス思考」の人と「マイナス思考」の人がいる。
これはよく言われることだが、組織においても同様だ。

人を育てる時、評価する時「加点主義」でいくか「減点主義」でいくかだ。
どちらでいくにしろ、一長一短が有る。
問題は、組織が自分たちはどちらなのか、ということを知らない、ということだ。


個人においても「長所・短所」がある。
自分でその長所・短所を知っているかどうかで、ずいぶんと生き方が変わる。
たとえば僕は「熱中しやすいが飽きっぽい」という短所が有る。
これは良く言えば「集中力」が有る、ということになる。(かもしれない。)

だから僕はひとつのことに、のめりこんだら、気分転換に別のことをやり、時間をおいて、また、前のことをやる、というパターンで仕事をするよう心がけている。

薬を評価する場合も副作用を過大評価するか、効果を過大評価するかで、随分と違ってくる。



話を「加点主義」、「減点主義」に戻そう。
OJTでも、集合研修でも僕は「褒めて育てる」ほうを好む。

でも、ひとによっては(組織によっては)、「しかって育てる」風土のところもある。

あなたは(あなたの組織は)どちらですか?
そして、そのことをあなたは(組織は)、認識していますか?



2005年8月21日

失ってはいけないもの

御巣鷹に日航ジャンボ機が墜落して、20年が経った。
墜落の原因は修理ミスにより、飛行中に金属疲労を起こしていた隔壁が壊れたことだという。

当時の技術ではどうにも防げないことだったのだろうか?
それとも、単純な人的ミスだったのだろうか?

もしミスだったとしたら、それを再発させないために、どのような処置が必要なのか、ということが課題となる。

人間にミスはつきものだ。
しかし、そのミスの発生率は確実にコントロールできる。

GMPは、その精神を最も分かりやすく表現している。

特にハード面においては、分析技術やIT技術の発展とも相まって人的ミスの発生を防げるようになってきた。
また、万が一、ミスが有っても次の工程に進まないように工夫されてもきた。
しかしながら、このようなハード面での最近の技術の発展がいかに優れたもので有っても、最終的にはやはり人間がミスを発生させるかどうかの鍵となる。
そのために、GMPではSOPの整備とその教育を製造者に義務付けている。

いわゆるソフト面においては、SOPの整備がなされ、教育がきっちりとなされているならば、製造工程におけるミスは飛躍的に低くなる。

僕も大学を出たての頃、GMPの教育を受けた。
「『品質』は工程内で製品に織り込まれるものである。」とかね。

工場で働く時はGMPだけでなく、「労災」についても学んだ。(学ばされた。)


みんな、誰もが最初は初心者で、教育を受ける。
そして、ミスを起こさないよう、事故を起さないよう、気をつける。

それが、仕事を始めて、慣れてくるとミスを誘発する。油断するからだ。

僕たちが失ってはいけないものは、あの初心者だった頃の「心の張り詰め」だ。


同じミスを再発したら、御巣鷹で亡くなられた多くの人たちが救われない。


2005年8月14日

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