医薬品ができるまで  / ホーライ製薬 / ハードボイルド・ワンダーランド日記

ホーライの治験日記(6)

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【本と旅する】


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治験に関する費用が高くて悪いか?

日本における「治験に関する費用が高い」ことが最近話題にのぼっている。
果たしてそうだろうか?

もちろん、そうなのだ。事実、欧米に比べて「高い」。中国や韓国、南アフリカ、カナダなどに比べたら圧倒的に高い。
だから、「御国より、うちの国で治験をしませんか?」と外国の大使が「治験環境」を売り込みに来るくらいだ。


では、「治験に関する費用が高いことが『問題』か?」と課題を設定しなおすと本当にそうか?
「異常に」高かったり、「不当に」高かったら、それは問題だろう。
また、治験の(新薬開発の)スピードと質に、それが影響していたら、それは問題だろう。

ここで視点を変える。
「何故、日本の治験は高いのか?」

どうだろう? どうしてでしょう? 3分ほど考えてみませんか?
「どうして、日本の治験は高いのか?」

まず、治験の実施費用は人件費がほとんどを占めている。
「研究費」の名目だろうが、「協力費」の名目だろうが、要は治験を実施する側の人件費だ。

また、治験依頼者を考えてみよう。
治験依頼者側の治験に関わる費用といったら、モニターの人件費がダントツだ。(CROを使っていようが、社内のモニターであろうが。)

「人件費」という名目で考えると、これはもう「治験」だけの話ではない。
「工場」などの組み立てラインが中国や東南アジアに多いことを見るまでもない。

昔の治験に比べて、実は「人件費」に関わる部分で大きく影響を及ぼしている項目が有る。
そう、「CRC」の方の費用だ。
そもそも、以前は「CRC」の方がいなかったので、そういう項目(費用)すらなかった。
だから、この点で考えると、その分、治験の費用が以前から比べて高くなったのは喜ばしいことなのだ。

関係者が頑張って、各地の病院にCRCの方が配属されてきた証拠であり、「治験基盤」の大きな柱が増えてきた証しである。
この点を考慮しないで「開発費用」が高いことばかりを言うのは「身勝手」で「理不尽」だと思う。

さらに「治験の費用が高い」原因に「治験のスピードが遅い」ということが有る。
これまた、様々な要因が有る。

これは別の機会に。

今日、本当に言いたかったことは、実は「皆が当然のごとく言っていることに同調しているだけでいいのか?」ということです。
それを「治験の費用」を題材にして話題にしました。


【事務連絡】

ホーライ製薬の第2回社員総会が9月30日(金曜日)に開催されます。
詳細はホーライ製薬をご覧ください。


2005年8月6日


Coming-out

1年8ヶ月ぶりに公務に復帰した雅子様。
愛知万博へ向かう姿がテレビの映像から流れた。
一時のことを思うと、かなり復活されたようだ。(新聞によると、愛知万博の予定延期も考慮されたらしい。)


あの時の皇太子の記者会見は衝撃的だった。
雅子様が体調を崩していること。それも精神的に不安定な状況であること。その原因のひとつに、雅子様のそれまでの経験やキャリアを否定されるような動きが宮内庁に有ったのではないか、という主旨の発言。

病気にいいも悪いも無い。
好き好んで自分から病気になろうという人はいない。

病気には必ず原因が有る(まだ原因不明な病気も含めて)。
もともと遺伝子にプログラミングされているような病気。
外部から入ってくる毒素による病気、感染症。
内部のホルモンや細胞の働きが、何かのきっかけで異常になってしまう病気。

人間のセンサーの感度は鋭く、嬉しいと免疫機能まで向上し、悲しいと病気になりやすくなるほど免疫機能が落ちる。

落語を見る(聞く)前とあとでは免疫グロブリンAの値が違い、『笑う門には福が来る』ことが実証されたりしている。

人格まで否定された人は、いったい、どんな気分になるのだろう?

僕たちはそれを想像する力を持っている。

そして、そこから、また、新しい薬の発見が有るかもしれない。



【事務連絡】

ホーライ製薬の第2回社員総会が9月中旬以降の木曜日か金曜日に開催されます。
詳細は今後、ホーライ製薬でご連絡します。


2005年7月30日

三位一体の協力

つくづく思うのだが、治験は三位一体(さんみいったい)の協力が必要だ。
もちろん、ここで言う「三位」とは、治験を実施する病院治験依頼者、そして治験参加者の三者のことだ。

どんなに治験を実施するための基盤を整備したところで、治験参加者(患者さん)の協力が無いと、全然ダメ。
また、治験依頼者(製薬会社、ベンチャー等)の基礎研究が進まない限り、これまたダメ。

逆に、治験依頼者の基礎研究で良いシーズ(種:ここでは薬の種)が発見されても、治験を実施する体制が整ってないと、臨床の現場に出るのが遅くなる。


長い道のりと、多くの人の協力が有ってこそ、初めてシーズは単なる有機化合物から有効性と安全性を持った医薬品として、世の中に出せるのだ。
医薬品ができるまで、そして、さらに、できてからも、副作用や有効性の評価を絶えず行う必要がある、この世界。
三位一体の協力体制が無いと破綻するのは間違い無い。
しかし、ともすると、忘れがちなのが、治験参加者の視点だ。

最近、新聞の紙面を賑わせているアスベストの問題で、厚生労働省が対応に遅れをとったことは残念だ、という主旨の発言を厚生労働省副大臣が行っていた。
それは、1980年当時、アスベストを扱う人だけでなく、その家族や、付近の住人にも悪影響を及ぼす可能性が有ることを、厚生労働省は通知で述べておきながら、対応していなかったということを指している。


新薬誕生に関しても、或いは、医薬品ができてからでも、新たな安全性の問題を知っていながら、対応が遅かったり、認識が甘かったりして、多くの薬害が発生した。

もちろん、これは国だけの問題ではなく、製薬会社側も反省すべき点は残っている。
そして、直接被害を被る患者さんや、治験参加者さんは、いつもかやの外、という状態だ。

医薬品や治験薬の安全性に対して言うならば、『疑わしきは使わず』という態度が必要だし、その疑わしき情報を常に、公にする必要が有るだろう。

流通在庫があると、それが無くなるまでは『移行処置』という名目で、危ない薬が出回ることは避けたい。
「臨床の現場が混乱するから」という理由で、危険な薬が使われるような事態は、もう止めたい。

いつも、被害を被るのは患者さんだ。
薬害を受けた人たちの前で、「移行処置」とか「臨床の現場が混乱するから」という理由を、誰かが、面と向かって説明できるだろうか?


治験は三位一体の協力が必要だ。
その協力を仰ぐためには、どうしたらいいのだろうか?
都合のいい時ばかり協力を仰いで、都合が悪くなると「移行処置」、「現場が混乱」ということでいいのだろうか?


「普通の世界」では、協力が必要なら、同等の立場で協力体制を普段から構築できる。
しかし「病気の世界」では、ともすると患者さんが弱い立場になりやすい。
「普通の世界」以上に、協力体制を構築する普段の努力と工夫が必要なのは、言を待たない。……と持病のある僕は思う。
「薬害資料館」


2005年7月23日

サリドマイドを使った医師主導型治験の行方

新聞報道によると、名古屋のある医師が膵臓がんに対してサリドマイドを使う『医師主導型治験』の届出を、当局に提出していたが、却下されたらしい。

理由やら経緯は、新聞報道だけでは分からない。

問題は、当局が、この医師にどう指導したかだろう。


一体、当局(厚生労働省や総合機構など)は、自分たちが作り上げた『医師主導型治験』に対して、きちんと指導しているのだろうか?

製薬会社が提出した治験届に対しても、担当官が変わると意見がころりと変わったりして困ったことがある。

まぁ、所詮、役人だろうが、総合機構の人だろうが、人間なので完全な対応は有りえない。(製薬会社、治験依頼者側もしかり。)

大切なのは、薬を待っている人たちのことを考えているかどうかだ。


利益と安全性と有効性。

実はこの3つのバランスの上に、僕たち日本人の命は乗っかっている(行政の人も、治験依頼者も、その家族も含めて)。


2005年7月16日

臨床試験の登録・結果公開に関する実施要領

日本製薬工業協会のサイト臨床試験の登録・結果公開に関する実施要領臨床試験の登録・結果公開に関する実施要領Q&A が載っています。


これを受けて、7月4日に武田薬品工業「臨床試験情報の自社ホームページにおける公開について」というメッセージを発表しました。

今後、このような情報開示はますます増えることでしょう。

「臨床試験の情報を公開したところで、患者さんたちや一般市民の方に、理解できるか疑問だ」という声もあるでしょうが、それは、理解できるように公開する努力が必要だということでもあります。

また、今年の4月から話題になっている「個人情報保護法」というのもあります。

こうしてみると、現代は情報開示と情報保護の2つが進んでいるという、特異な時代です。


治験というのは、「モノ」を作ったり、集めたりすることではなく、「治験薬の有効性と安全性」という「情報」を集めることです。


情報、そのものに高い価値があり、それゆえに、保護をしないと悪用されかねない時代。

私の情報はDNAに組み込まれ次世代に継がれていくだけでなく、このサイトを通じても引き継がれていくことでしょう。


2005年7月9日
どんな人生にも雨の日はある

「ビジネスわくわく」の日記にも書いたがどんな人生にも雨の日はある

ひとそれぞれによって雨の日の過ごし方が有るだろう。
びしょ濡れになってもいいから、外へでる。 せめて傘をもって出る。 いやいやレインコートも必要でしょう。
まさか!こんな日は家で好きな音楽を聴きながら、好きな本を読むのが最高の人生さ、、、。いろいろだ。

さらに、「ビジネスわくわく」の「生きがい、夢、希望のコーナーでも書いたが、現状の中から自分の夢と希望に合致する仕事が見つかれば最高だ。

もし、本当の自分の「夢」と「希望」と「目標」が見つかったら、最高の人生だろう。
もちろん、それは仕事上での成功とは限らない。
小さな心の安堵感だけのことかもしれない。


雨が降ったら、雨が降った日の過ごし方を覚えておくのも悪くは無い。
豪雨の中を仕事に出なければならない日も有るだろうし、炎天下の中を仕事に向かわなければならない日もあるだろう。


雨の日の過ごし方、どうしていますか?


2005年5月7日

ミスと事故と犯罪

兵庫県のJR福知山線で脱線事故が有り、多くの尊い命が失われた。ここにご冥福をお祈りします。

また、最近、あるメーカーのウイルス対応ソフトに欠陥が有ることがわかり、これを導入している会社はもちろんのこと、個人においても大変な対応となってしまった。

ある病院で医療ミスが続いた医師の専門医資格を関連する学界が取り消した。

自動車メーカーや放送局による不正隠し、原子力発電所の臨界事故、同意無しで臨床研究に参加させていた医師。。。


『うっかりミス』は誰にでもある。
それが人的、物的被害に及ぶと事故に繋がる恐れがある。

しかし、事故は必ずしも『うっかりミス』から発生するわけではない。
たとえば予想を越えた不可抗力的なプレッシャーをかけられた金属が破損する・・・・・・これは『事故』に繋がるが、原因は『うっかりミス』とは限らない。


治験のデータにおいても、あるいは治験の実施方法においても『うっかりミス』と『事故』がある。

カルテから症例報告書への単純な転記ミス。しかし、これまた単純な転記ミスであっても、ものよっては、その後、大きな事故に繋がる可能性がある。

点滴で24時間かけて投与する治験薬が、大きな地震のために中止された・・・・・・これは事故と呼ぶのかもしれない。


さて、上記の『うっかりミス』と『事故』が、もし、故意に行われたら?

それは『犯罪』だ。(もう少しソフトに言ったら『データ捏造・改竄・不正』・・・と言い換えたところで問題の本質に変わりはない。)


医療の現場においては『うっかりミス』ですら命に直結する問題として軽んじられることはない。
今では各病院、学界、行政を含めて、医療現場における『うっかりミス』と『事故』、『医療過誤』を無くそうと必死だ。

いわんや故意に行われた『うっかりミス』と『事故』は、厳に戒めるべきことである。
『犯罪』なのだから。


しかし、日本、世界から犯罪が一日でも消えた日は無い。
何故だろう?


2005年4月29日


夢の通り道

先週の『モニターのためのメル“ガマ”』で紹介したCD「短篇集」(中島みゆき)の中に、『夢の通り道を僕は歩いている』という名曲が有る。

「夢」を追いかけているうちに、気弱になる自分。
一体、今、自分はどこに向かって歩いているのか、今、どこにいるのか、見失ってしまう。
ひょっとしたら、ここで、夢に見切りをつけて引き返したほうがいいと思ってしまう。。。。

という、曲。


今夜(2005年4月23日)は朧月だ。

月は僕の影を照らしてはくれなかった。
だが、雲を出た月は夜道に僕の影を映してくれることがある。
その影は、僕の実際の身長よりも長かったり、短かったりする。

影の長さは幻影か?それとも、今の自分の姿なのか? などと、春の月は僕を幻想的な気分にしてくれる。


それぞれの春。
それぞれの春の夜。春の朧月


あと、何回、春を迎えたら、僕は夢に見切りをつけることができるのだろうか?


2005年4月23日

サラリーマン(死語か?)の対価

今では「サラリーマン」とは言わずに「ビジネスパーソン」と呼ぶが、とりあえず、今回はサラリーマンをキーワードにして、楽天アマゾンで本を検索してみた。

楽天では120件のヒットで、アマゾンでは1,011件のヒットだ。

その中で僕の興味を引いたのは、まずは「サラ川」で有名な「サラリーマン川柳」。
これなんかは、絶対に「“ビジネスパーソン”川柳」よりも「サラリーマン」のほうが似合っている。(哀愁漂うサラリーマン、と。)

次に「釣りバカ日誌」の「ハマちゃん。」
社内随一のペケ社員のお気楽マンガ。こんなふうにスチャラカ社員というものに憧れるひともいるだろう。

変わったところでは「今から作家!―サラリーマン・OLをしながら作家になる方法」とか「定年和尚―サラリーマンがお坊さんになった!」、「サラリーマンから大学教授になる!方法」なんていうのもある。

まぁ、いろんなサラリーマンの生き方が有っていいわけだ。

「釣りバカ」のハマちゃんとは対照的なのが、「サラリーマン金太郎」と「課長島耕作 全17巻 弘兼憲史作」だ。
こちらもまた、憧れている人が多いだろう。


サラリーマンと呼ぼうがビジネスパーソンと呼ぼうが、本質は変わらない。
自分の自由になる時間を会社から買ってもらうわけだ。
ただし、その買値がひとぞれぞれなだけだ。

公務員でも、自営業でも、ゲージュツカでも、作家でも、これまた同じだ。

商品を売っていようが、サービスを売っていようが、とにかく、お金を得るために、僕たちは自分の貴重な人生の時間を提供している。

そして、お金を払うほうも、支払う金額以上のモノを僕たちに期待している。
逆に、僕たちは自分の提供している時間(そしてその中で提供しているモノやサービス)に見合ったお金を支払ってもらっているかを考える。


こう考えていくと、しょせん、人生はカネか?・・・となる。

もちろん、そうだ、というひともいい。
いいや、違うべ、というひとがいてもいい。
それはその人の生き方のスタンスの問題だ。


さて、自分の人生の切り刻んだ時間を何で測るべきか?
これが、今週の問題です。


2005年4月17日

次に待っているもの

私たちが望むものは「一日でも早く、新薬を世の中に出す仕組み」だ。

この仕組み作りとしては既に「オーファンドラッグ制度」や「優先相談」、「優先審査」という審査制度がまず有る。

次に治験そのものを円滑にするシステムとしては、徐々にだが、各地で治験のネットワークが立ち上がったり、優秀なCRCの方々が誕生してきている。

まだまだ緒に着いたばかりの「医師主導型の治験」というのも有る。


では、次に待っているものはなんだろう?

次はシーズ探しだ。

いくら新薬承認のための審査システムや治験環境が整備されたからと言っても、「新薬の種」が出てこない限り「芽」が出ないのは当然だ。

これもようやく最近になって、ベンチャーが出てきたり、トランス リレーショナル リサーチということ言葉も出来た。
だが、まだ、これぞ!と言ったものがそのあたりから出てきていない。

創薬は、どうしてもやはりお金がかかる。
また、斬新なアイディアも必要だし、それを取りまとめる人材も育成しないといけない。


ただ、科学の研究はお金が全てではない。
アインシュタインやエジソンや平賀源内、本田宗一郎、松下幸之助などなどのように異常なまでの情熱を持った人材がどうしても必要だ。

今週のアエラでは「グーグル最強の秘密」という記事が載っていた。
そこでは「グーグルの良さ」よりも、いかにスタンフォード大学が重要な役割をしているかが書かれている。

 
・・・・・・・う〜〜〜〜ん、ということは、創薬よりもまずは先に「創人」なのかな?


2005年4月9日

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