医薬品ができるまで / ホーライ製薬 / ハードボイルド・ワンダーランド日記
新入社員の皆様、ようこそ! | ||
製薬業界、治験業界に入られた新入社員の皆様、ようこそ!! 上記以外の業界に入られた新社会人の皆様も、ようこそ!! 僕がこの荒海に出航したのは、およそ20年前です。(その時の手取りは12万円位でした。^^;) きっと、期待と不安と倦怠感で新世界を迎えられたと思います。 そうです、まさに、この世の中は「新世界」です。 同じ日本の同じ地区に住んでいたにも拘わらず、私たち製薬関係者、治験関係者がどのような仕事をしているのか、さっぱり、全然、知らないできたことでしょう。 なかには、多少、大学で(特に薬学部などで)『治験』や『臨床試験』というものを習われたと思います。 はい、でも、それは教科書と黒板とテストの上だけのことです。 今、皆さんは、まさに、その渦中に放り出されたわけです。 これは、何もこの業界だけでは有りません。 どの業界に就職したとしても、同様です。 大学までは、授業時間が決められていて、講義室も決められていて、そこにただ行けば良かったわけです。(そして、ついでに勉強するか、睡眠不足を解消していたことでしょう。) これからは、皆さん自身が、自分でスケジュールを立て、自分で何をしに行くのか、どうやって行くのか、、、、その全てを決めないといけません。 きっと、新入社員のオリエンテーションで会社のいろんな規則をイッキに教えられたと思います。 それだけで、アップ、アップですか? 実は、そんな既に決められている規則を覚えたりするのは、どうってことないのです。 それよりも、もっと大変なのは、問題を自分で(先輩や上司、同僚の手を借りながらでも)解決しないといけないことが、これから沢山、待ち受けているということです。 でも、ご安心あれ!それは何も今年に限ったことでは有りません。 今までも、ず〜〜〜〜っとそうだったのですから。 最初の一年目はひとつのことをやるのに一時間かかったとしても、二年目には同じことが三十分でできるようになっているはずです。(人間には学習機能が、もれなくついていますからね。) でも、その三十分で一つを仕事を仕上げたら、残りの三十分でまた別の仕事をするわけですね。寝ていられるわけではありません。 このようにして、人間は一つ、一つの課題をクリアし、成長していきます。 その『成長』とはビジネスパーソンとしての成長だけでなく、きっとあなたという人間の成長にも繋がると思います。(是非、そういう仕事をしてください。) 荒海に出たと言っても、まだまだ湾内です。(あるいはまだ港内かもしれませんが。) 外海に出たら、くれぐれも、難破しないで戻るべき所に戻ってきましょう。 戻るべき所とはどこか? それは、あなた自身です。あなたの心の中心です。 さて、そろそろと外海に出ていきましょうか? 2005年4月2日 |
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僕たちにも責任は有る | ||
「僕たちにも責任は有る」と思った。 先日の金曜日にシリーズとしては第7回目のシリーズとなる『金八先生』が最終回となった。 このシリーズも25年間続いてきた。 今回の第7回目のテーマは『覚せい剤』だ。 僕たちが開発している薬は、非臨床試験やフェーズ1の時に、治験薬が精神的、肉体的依存性を形成するかを厳しくチェックする。 しかし、それでもなお、数少ない実験と治験だけでは分からずに、実際に販売されてから、依存性が確認されることもある。(そうなると、注意、指示事項がつく。) また、過去の薬害が再び起きないように、次世代への影響も非臨床試験で確認するようにしている。 重篤な副作用も、治験中に念入りにチェックされる。 しかし、これまた、過去に何度か、薬害や副作用が市販後に判明したことが有る。 これらのことに対して、僕たちにも責任は有る。 アインシュタインや湯川英樹らは、第二次世界大戦後、科学者として『世界平和運動』の宣言をした。 それは、予期せぬこととは言え、自らが生み出してきた科学の産物である『核兵器』に対する責任を表明したとも言える。 同じ様に、僕たちにも覚せい剤や薬害に対して責任が有る。 たとえ、百歩譲って、過去の覚せい剤や薬害に対しての責任が無いとしても、これから先には、二度と依存性の高い覚せい剤を作ったり、薬害を発生させないという責任は有る。 もし、それは他社のことだから、責任が取れないよ、と言ったら、一般市民から、製薬業界全体に対して、どういう視線が向けられるのか、考えたい。 (先週のおまけの答え) デーモン山田は、キャサリン立川が次の駅で降りることをある日、知った。 そこで、毎日、彼女の前に立ち、彼女が電車から降りたら、自分が座るのでした。 『ユーモアは全世界に対抗するもう一つの武器である』(メル・ブルックス:コメディアン) 2005年3月26日 |
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人材急募! | ||
「人材急募!」と言っても、「ホーライ製薬」の話ではない。 「医薬品医療機器総合機構」の話だ。 「医薬品医療機器総合機構 技術系職員の公募について 」を見てください。 その上で、我こそは!という方は是非、申し込んで欲しいですね。 もちろんお仕事は以下のとおり、我々製薬業界にとっては切っても切れない内容です。
ただし!次の注意が有ります。
配属先等の「優遇」では無く「制限」ですから、お間違いの無いように。^^; かなり、審査業務が滞っているのでしょう。 募集人員は約40名です。 審査業務が滞るということは、それだけ新薬が世の中に出るのが遅くなるということです。 一日でも早く、薬を待ち望んでいる患者さんのために、本当に優秀な人材が入ってくれるといいですね。 しかしな・・・・・・どうして、どこもかしこも「人材不足」なんだろう? 日本のどこに「人材」が余ってしょうがない、という会社が有るのだろう? 聞いたこと有りますか? もし、聞いたことが有るという方は、是非、ご一報ください! (先週のおまけの答え) 彼女はもうこれ以上、1個も質問できません。 なぜなら、既に2個質問しているからです。 1個目が「質問がどんなに長くても1個か?」で、2個目が「じゃ、質問がどんなに短くてもやっぱり1個よね?」です。 これで、ハイ、200円。チャンチャン♪ (今週のおまけ) 電車で通勤しているキャサリン立川は、ストーカーに狙われているような気がした。 毎日、毎日、次の駅で乗ってくるある男性(仮に、デーモン山田としよう)が、必ず電車の席に座っている彼女の前に立つのだ。 今日も、デーモン山田は電車に乗ると、キャサリン立川を探し、その前に立った。 不気味に思った彼女は、ある日、思い切ってデーモン山田に、その訳を聞いた。 すると、すっかり拍子抜けしてしまったという。 一体、どんな理由だったのだろうか? (「大人の頭脳クイズ―論理力・発想力で差をつける!」より) 2005年3月20日 |
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人類最初の質問 | ||
人類がここまで地球上に、繁栄した(はびこってこれた)理由の一つに好奇心が有るだろう。 好奇心は全ての科学の源だ。 しかし、犬や猫も「好奇心」らしきものは持っている。 たとえば、犬に珍しい動物や玩具を与えると「興味」を持つ。この「興味」は「好奇心」と言い換えてもいいだろう。 ところが、ここから先が犬と人間では違う。 人間もとりあえず、そのなんだか分からない代物に興味を持ち、いろいろ調べる。 調べた結果、やっぱり、「なんじゃい?これは?」となったとしよう。 すると、「ね、ね、なんだと思う?、これ。」と誰かに質問する。 この「質問」の有無が、人類と犬との大きな違いだ。 (犬や猫や猿が、となりの仲間に、肩を叩いて「おいおい、こいつなんだろうな?」とやっているところを僕はまだ見たことがない。僕が見てないだけかも知れない。だから、確信は無い。) 一体、人類最初の質問は誰が、どのような質問をしたのだろう? 実に興味深い。 どんな分野のことだったのだろうか? やっぱり生活に密着したことなのかな。 誰かが、何かの拍子にサーベルタイガーをうまく倒して獲物として持ってきた。 「おい、それ、どうやった?」 「この石を投げたら、死んだ」……とかね。 その質問第一号から、300万年ほどたって、僕がみなさんにこれから投げかける質問は一体、人類にとって、何番目の質問なんだろう? 科学は常に「質問」に対して「答える」という形で発展してきた。 「フグは旨いが、何故、時々死ぬ奴がいるのか?」とか、「どうして食べ物は、時間がたつと臭くなるのか?」とか、「この大地はどこまで続いているのか?」とか「夜になると空に光っているのはなんだろ?」とか。。。 ところで、「どうして、あなたは今の職業を選んだのですか?」 というのが、皆さんへの質問でした。 (おまけ) ある町に「なんでもお答えします。質問1つにつき100円」と看板を掲げた男がいた。 ある女性が、今、200円持っている。(あとはクレジットカードだけだ。) その女性は、なんとかして200円で少しでも多くの質問をしようと思案した。 そこで彼女は男に言った。「質問がどんなに長くても1個か?」 男は言った。「そのとおり。」 彼女は言った。「じゃ、質問がどんなに短くてもやっぱり1個よね?」 男は言った。「もちろん。」 彼女は一体、何個の質問ができるだろうか? 2005年3月13日 |
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未来と握手するために | ||
今、受験シーズンが終わろうとしている。 きっと、中には第一志望が駄目だった人もいるだろう。 それどころか、一浪することになった人もいるだろう。 そんな時、悔しい思いをする。 これからの一年間をどう過ごそうか、とか、第一志望じゃない学校なんて、と思うかもしれない。 だけど、僕は知っている。 長い人生から見たら、一浪や二浪なんてどうってことのない問題だ。 (その真っ只中にいると気付かないのが世の常。何事もね。) 受験生の皆さんへ、これからも人生、いろいろ待っている。 「塞翁が馬」という言葉も有る。(意味が分からない人は辞書をひくように! ん? 今はネットで調べるように!か?) 希望が叶わずに常に二番手を歩いてきたとしても、その道だからこそ、出会えた人がいるのだ。 その学校、職場だからこそ経験できたことがあるのだ。 人間は「夢」が無いと生きていけない動物らしい。 「夢」が有り、そこに「希望」が有る限り、手探りでもいいから、道を探す。 たとえ、足が傷だらけで棘が全身に刺さっていても、象は長い鼻で生きる道を模索する。 「自分」が諦めない限り「負け」ではない。 「自分」が止めない限り「失敗」ではない。 世間やはたから見てどうあろうとも、自分の人生の価値を決めるのは、あくまでも「自分」だ。 会社でも世間でもない。 立ち上がり、道を模索する。 未来と握手するために。 2005年3月5日 |
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闘うために休む | ||
積極的に休む。 ボクシングでもK1でも、必ず休憩が入る。 次の戦いのために積極的に休む。 休憩の時に、どれだけ体力を回復できる休み方ができるかが、勝負の分かれ目にもなる。 マラソンでも、早め早めの給水が必要。 また、ジョギングの練習のしすぎもよくない。「休むのも練習のうち」と言われている。その休んでいる間に筋肉が補強されていくのだ。 マサイ族の言葉にも「闘う戦士ほど、よく眠る」というのがある。 今週、僕はホーライ製薬を休む。 再度、闘うために休む。(誰と闘うのだ?) 最終ラウンドまでファイティングポーズをとり続けるために休む。 継続するために休む。 ここで休んだら、ひょっとして、もう二度と再開できないかもしれないという不安もある。 その不安を抱えながらも、ここは『休み』だ。 引くときは引く。 再び立ち上がるために、もう一度リングに上がるために、積極的に休む。 勇気を持って、休む。 いつか、また、リングに上がるために。 もし、上がれなかったとしても、それはそれで一向に構わない。 きっと、ここから発信し続けたことが、誰かの心に小さな灯りをつけたと思うから。(勝手に自己満足。) きっと、誰かが、リングに立ち上がることもあるだろうと思うから。(無くても構わない。) 僕は機械では無い。(機械だって、定期的にメンテナンスが必要だ。それに機械だって故障する。金属磨耗も、金属疲労もある。それとも勤続疲労か?) 僕は生身の人間。 僕は一介のサラリーマン。 スーパーマンではない。 ましてや自分を殺してまで、サイトを継続する義務もない。(身勝手だが。) 自分のためにやっていることが、いつのまにか、自分を殺すことになっていては、かえって、サイトがかわいそうだ。 (……というほど、ホーライ製薬が僕を締め付けているわけではない。 理由は別に有る。) もう一度、マサイ族の言葉を自分のために。 「闘う戦士ほど、よく眠る」 PS.気が向いたサイトやブログは更新します。 2005年2月27日 |
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三共と第一製薬の合併 | ||
土曜日の朝、寝ぼけマナコでネットニュース見ていたら、三共と第一製薬が経営統合する、という記事をみた。 なるほど、そういうことですか。(何が?) 今度はどんな名前になるのかな? アステラス製薬(山之内製薬と藤沢薬品の統合後の会社名)には既にホームページが有る。→「アステラス製薬」 このホームページに会社の名前の由来や意味するもの、またロゴについても同様のことが解説してある。 「サノフィ・アベンティス」のロゴもアベンティスとサノフィの両社とは全く別に新たに作られた。 この手のロゴを作るにも、数千万はしないか? 数百万はするのだろうか? などと考える。 そんなことをどうして考えているのか? と自問してみた。 合併には、相当なお金がかかる、オフィスのことやら、退職金のことやら、ね? そういうことなんだな。(何じゃ、それ?) やっぱり、日本企業も再編成が進む。 合併慣れしている外資系ならいいのだけれど、慣れていないと、これがまた大変なのだ。 治験絡みで言っても、まずは、SOPをどうするか? IRBは? 施設との契約手続きは? モニタリング報告書の管理システムの統合は?……など等。 こんな実務的なことから始まり、合併する両社の賃金体系、風土、組織、各制度……等など、もう煩雑なことだらけだ。 それでも、何故、合併するのか? 勝ち残るためである。 一般論的に言っても、ますます膨れ上がる新薬の研究開発費用。 それでもなかなか出てこない画期的な新薬。 人件費も上昇するばかり。一方で、日本国内における外資系製薬会社の攻勢。 そんな製薬業界の再編成などとはお構いなしに、猛威を振るうインフルエンザ。 病院で一日も早く病気が治り、退院することを願っている患者さん。 ワクチンひとつ、満足に子どもに投与することができない国々。 合併するからには、それなりの理由があってのことだ。 その理由を考えて、一日でも早く、新薬を出して欲しい。 合併を望まない独自路線をひたすら走る製薬会社も有る。 それはそれで構わない。(新薬さえ出してもらえれば。) 僕が望むことは、合併しただけで、そこから何も生れてこない、なんていう事態にだけは成って欲しくないということだ。 それぞれの製薬会社の都合とは関係無く、病気は広がり、蔓延する。 合併したしわ寄せが、患者さんたちに来ないようにして欲しい。 そして、一日も早く、合併のシナジー効果を発揮し、新しい薬が出てくることを願って止まない。 2005年2月20日 |
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やってみないと分からないこと | ||
もう皆さんはご存知のことでしょうが、今やこのサイトのホームページは広告だらけだ。 このサイトを立ち上げた当時、「ゲストブックに明らかに特定企業の売り込みのための書き込みやURLを書いた場合は、本人の了解も無く削除する場合があります」と注意文を書いていた。 ところが、今や「明らかに特定の企業の利益を上げるための」バナーを貼っている。 いやはや、我ながら、ポリシーの無さというか、節操の無さには呆れかえる。 まぁ、あえて言い訳をすると、当時、僕が想定していた「特定企業の売り込み」とは、こういうサイトなので特定の製薬会社だけを売り込んだりすると、一般市民の皆さんに、その製薬会社の薬の効果まで保証すると誤解を招くのではないか、と思ったわけからなのでした。 でも、その後も治験の促進のために、いろんな製薬会社が使った「治験に参加頂けませんか?」という新聞案内の写真にリンクを貼ったり、各社のポリシーをかき集めたりしていた。 だから身勝手とは言え、他者が書き込んだ特定企業の売り込みは削除していたが、僕自身が選んだものは載せていたわけだ。 その後、ネットも発達し、それに呼応して沢山のビジネスが生れた。 なかには、いろんなサイトのゲストブックに出会い系や健康食品や副収入を得るためのサイトへのリンクを貼る、というビジネスまで生れた。 つまり、ちょっとした暇な時間に、ネットサーフィンしたり、ゲストブック集のサイトへ行き、特定のサイトへの広告文とリンクを貼る、というアルバイトなのだ。 僕みたいにゲストブックやサイトを立ち上げて放置しておくと、ある日、久々に行ったら、ゲストブックがH系サイトの広告塔になっていた、なんてことがしばしばである。 (だから、そのようなことがキライな人は、やたらサイトを立ち上げないこと。) さて、ここから話がもとに戻るが、僕はある日、フト自分のメルマガで紹介している本をこのホームページでも紹介しようと思いついた。 さらに、その本がどんな内容で、いくらで、どこの出版社か分かるように、アマゾンへリンクを貼ろうとした。 すると、アマゾンのサイトに「アソシエトプログラム」というものがあることを知った。 ホームページで本の紹介をし、それを読んだ人が、アマゾンからその本を購入したら、紹介者に一定の紹介料を支払う、というものだった。 う〜〜ん、そう言えば、本屋でも「楽天のアフィリエィトで儲ける!」なんていう本を見たことがあるぞ、う〜〜〜ん。 とそれほど、深くも考えずに、さっそく、アマゾンのアソシエト・システムを使ってみた。 すると、ここで紹介した本をアマゾンで購入された方がいるようで、僕にいくらかの紹介料が入っていた。 (もちろん、これだけで食っていけるわけではなく、いいところ、タバコ代かな、という程度だが。) ほほ〜と感心して、それをあるブログに書こうとしたら、たまたま、そのブログではそのようなアフィリエイト制度を率先して紹介しているところだった。 それも、初心者にもやさしく、解説してあるのだ。 その罠にまんまとはまった僕は、さらにいくつかの企業とアフィリエイト契約を締結し、そして、いまや、ご覧のとおりだ。 広告がメインなのか、治験日記がメインなのか、全く分からないというほどである。 しかし、ここで、僕はあることに気が付いた。 バナーを貼ったからには、タバコ代とは言え、そりゃ少しでも紹介料が入ったほうが嬉しい。 すると、どうやって、このサイトにお客さんを呼び集めるか、という集客方法を考えるようになる。 さらに、どこの企業と契約すると、効率良く、ここをご覧頂いている人がバナーをクリックするか、ということも考える。 まてよ、え〜〜と、ここは「医薬品ができるまで」ということで、治験のことを話題にしているので、当然、製薬会社のモニターの皆さんもご覧になっていることだろう、で、そのモニターの皆さんは、日頃、何をお仕事にしているかというと、全国の病院へ出張し、治験業務を行っている、そう言えば、僕もモニターのころは、よく出張したもんだ、、、だったら、ビジネスホテルのポータルサイトや、トラベル関係の企業とアフィリエイトの契約を締結したほうが、効率が良いのでは? ……などという、一種のマーケティング分析をしている自分に気が付いた。(というほどの、たいした分析ではないが。) これは、アフィリエイトシステムを自分で使い始めて、気が付いたことだ。 このサイトをご覧頂いている方は、どんな人が多いのだろうか? 男性と女性のどちらが多いのだろう? 製薬会社以外の人も訪問しているのだろうか? もし、製薬業界以外の人だったら、どんな人たちだろう? ひょっとしたら、薬学部や理系の学生さんたちも訪問しているかもしれない、なんてことも考え始めた。 さらに、このサイトをご覧頂いている皆さんに、どんな情報を紹介したら、興味を持つだろう? 訪問者の皆さんは、どんなことを「問題」として抱えているだろう?(例えば、英語をものにしたい など) それを解決してもらうための一つの手段として、どんな情報を提供したらいいだろう? ……ということも考えるようになった。 そうやって考えた結果、数千ある企業の中から絞り込んでいき、選択肢に残った企業へアフィリエイト契約の申し込みをする。(アフィリエイト契約を仲介するビジネスが既に有る。→ 「リンクシェア」など。) と、このように、今、文章中でリンクシェアを紹介した。 ここで、皆さんのうち、誰かが、上のリンクシェアをクリックして、ご自分のサイトでリンクシェアを使うと、僕に紹介料が入ってくる、という寸法だ。 何事も、やってみないと分からない。 やり始めてから、いろんなことに気が付いたり、考えるようになったりする。 「言っているだけ」と「やってみた」との間には、このように少なくとも25光年ほどの開きがある。 「座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本」 齋藤 孝 (著) 光文社新書 でも言っている。 「いろいろ研究してみたところで、結局実際に応用したものしか、頭に残らない。」 そのとおりだ。 2005年2月12日 |
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仕事を好きになる | ||
一番いいのは、好きなことを仕事にすることだ。 しかし、そうは簡単に行かない。というか、もう手遅れだと思っている人もいるかもしれない。 だったら、自分の仕事を好きになることだ。 ひとは好きなことには情熱を向ける。 放っていても、どんどんやっちゃう。 そこまでしなくても、と周囲が思っても、ガンガンやっちゃう。 それが、社会のためになるのだったら、それはそれで良い。 もし、自分の仕事が嫌いなら、どうするか? (1)いやいや、やり続ける。 (2)世の中、そんなもんだと言う。 (3)さっさと辞める (4)その仕事の意義を見つける、そして好きになるように努力する。 (5)何も考えない。 あなたは、何番を選びますか? ひょっとして、(6)その他 でしょうか? 好きなことをしていて、お金まで貰えたら、そりゃハッピーだ。 そのお金が世の中のレベルから比べて、たいした額じゃないとしても、その人の勝ちだ。 自己実現のひとつとして仕事をするという考え方もある。 その自己実現ってなに? あなたは、どんな自分になりたいですか? 僕はどんな自分になりたいのだろう? せめて、世の中の役に立つことの端っこでいいから、手伝いたい。 自分のためにやっていることが、世の中のためにもなるのなら、最高だ。 人生を楽しく生きる一つの手段として、仕事を好きになるというのがある。あるいは、好きなことを仕事にする。 もちろん、仕事以外に生きがいをもっていれば、それはそれでいい。 僕がやっている仕事は、モニターの教育。 人が成長するのを見るのが、たまらなく好きだ。 そして、そのモニターのみんなが、自分たちの仕事を好きになってくれたら、もっと嬉しい。 モニターがいないと、治験は進まない。(もちろん、医療関係者や治験に参加してくだる患者さんも必要だが。) 治験を生かすも殺すもモニター次第。 新薬を世の中に出せるかどうかもモニター次第、といこともある。(治験薬、そのものに効果が無いと駄目だけどね。) ところで、今の仕事は好きですか? 僕はたまらなく好きです。 そして、僕をここまで育ててくれたいろんな方々にも感謝したい。 2005年2月4日 |
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増殖細胞 | ||
体内で無制限に、コントロール不能になって増殖する悪い細胞を「がん細胞」と呼ぶ。 ネットの世界もずいぶんと増殖した。それも無制限に、コントロール不能に。(ひとのことは言えないが。) ネットの歴史を辿れば…… テキストだけの時代。 検索エンジンが誕生した時代。 画像も配信可能になった時代。 掲示板などの書き込みが誰でもできるようになった時代。 ネットビジネスが「たわごと」から「本物」になった時代。 誰もが無料でサイトを持てるようになった時代。 ブログが流行している今。 ネットが急速に普及し、いろんなビジネスが生まれたのは、一時期(今もそうかも)、ネットが『無法地帯』だったからだ。 法律がまだインターネットに目もくれていなかった時期に、ありとあらゆるアンダーグランドなことが行われた。 それが、いいも悪いも、ネットを普及させた。(今もそうだが。) 1960年生れの僕は高度成長期の日本で育った。 テレビが子どもに与える悪影響を真剣に論じ合っていた時代だ。 よく子どもに見せたくない番組で『8時だよ、全員集合!』が槍玉に上がっていた。 いかりや長介のドリフターズ(ビートルズ来日公演の前座を務めたこともある)が、子どもたちの生活の一部を支配していた。 さて、今さらだが、“科学”も“テレビ”も“ネット”も使い方次第。 その使い方を決める権限は、ほかでもない、本人だ。 人は悪なるものに心惹かれたり、誘惑に弱い。ドラッグもそうだし、タバコもそうだ。ギャンブルも戦争もそうなのかもしれない。 『人体実験』で効果を確かめるのが最終的に決め手となる薬。 その人体実験である治験においても、悪なるものや誘惑が芽生えることがある。 データを早く得たい。新薬を早く出さないと会社が潰れる。自分が首になる。 ここまではいい。 ここから、心の中に悪なるものが増殖し、コントロール不能になると、いつか、心が麻痺する。 最初の「これくらいならいいだろう」が、どんどん加速する。まるでドラッグのように。 果てしなく続く、誘惑の魔の手は外からではなく、内から迫ってくる。 それを制御できるのは、「子どもに見せたくないなら、その番組を消せばいい親」であるところの、自分だ。 悪の増殖細胞を殺せる、あなたの心のナチュラルキラー細胞は、元気ですか? PS. 私信といえば私信の部類になるのかもしれませんが、僕のサイトでいろんなことを論じ合ったり、嘆いたり、感嘆したり、励ましあったり、愚痴ったり……etc して頂いている皆様に、この場をお借りしてお礼を申し上げます。 特に「ホーライ製薬」の社員の皆様には、感謝の言葉もありません。 2005年1月29日 |