医薬品ができるまで / ホーライ製薬 / ハードボイルド・ワンダーランド日記
大日本製薬と住友製薬の合併 |
大日本製薬と住友製薬が合併するらしい。 (産経新聞) によると「大日本製薬」は従業員数(連結)は16年9月末で2493人。一方の「住友製薬」の従業員数(同)は16年9月末で2799人。 合併すると、新会社は連結売上高で三千七十七億円(平成十六年三月期)となり、現時点では国内七位の製薬会社が誕生する。 今回の大日本製薬と住友製薬の合併が、新たな国内再編の引き金になる可能性もあるのだろうか? 山之内製薬と藤沢製薬。サノフィとアベンティス。そして、今度の大日本製薬と住友製薬。 多分、今後は、国内で10位から3位くらいまでが、どう出るかで、国内再編成の加速度が決まると思う。 まぁ、外資系にいると、山之内製薬と藤沢薬品の合併や、今回の大日本製薬と住友製薬の合併も、「あ、そう」っていう感じじゃないのかな。 慣れっこになっているからね、合併なんて。 ところで、この合併による患者さんへの影響はどうでるのだろうか?(以下、大日本製薬と住友製薬の合併とは、全く無関係に、一般論として述べる。) まず、開発品目の整理というのが考えられる。 この合併の際に、開発中の治験薬を見直そうという動きを必ずする。 すると、優先順位が大きく下がる治験薬というのが出たり、逆に急上昇するというのもある。 これは、全く患者さんの意向に関係無く、純粋に企業経営戦略の一環として行われる。 企業戦略とは、つまり、この開発品目で市場で戦っていけるか? ということを意味する。 市場で戦っていけるか? ということは、それだけ市場ニーズがあるか?という捉え方もできる。 市場ニーズが有るとは、「患者さん」が多いというふうに考えてもよい。 すると、逆に「患者さん」が少ないと、市場ニーズが低いということで、戦略上、優先順位が下げられる。下手すると開発を中止ということもある。 以上は極論です。ことは、そう簡単にはすまないのです。 合併するそれぞれの会社の思惑が、ここに絡んでくる。 また、市場ニーズが少なくても、合併するからには、その相乗効果を出したいので、両社の開発パイプラインが少ないものが、生き残るということもある。 いずれにしても、患者さんの意見が、会社の開発品目の優先順位に影響を及ぼすことはない。(これは何も「合併」の時の話だけではないが。) 開発品目の整理の次に来るのは何か? 「従業員」の整理だ。これをやらないと、合併の効果が半減する。 もし、「従業員」の整理をしないのなら、合併の前の二つの会社が、ただ一つになったということで、合併したメリットが出ない。 合併する理由とは、開発品目を増やし、開発費用を増やし、逆にコストを減らすことだからね。 「人員削減」は必ず有る。 合併の前後に合わせなくても、合併して1年後ときにさりげなく有ったりする。 で、合併慣れしていると、「早期退職制度」をうまく使って、通常の時の数倍の退職金がもらえるように会社を辞める。 だから、次に合併しそうなところだけを選んで、転職し、この「早期退職制度」をうまく使うと「合併太り」とでも言うべき人たちが出現する。 ・・・・・・ということで、合併騒動が起きている間は、患者さんのことより、まずは自分の勤め先を確保することが優先される。 でも、合併して、より「戦える製薬会社」がうまくできてくれるのなら、患者さんにもメリットとなるだろう。(ただし、時間がかかるが。) さて、話は5光年ほど飛ぶが、以前、ある医学部の学生が製薬会社の見学をしたいというので、アテンドしたことがある。 その時の医学部の学生のある感想を聞いて、僕は愕然としたことがある。 その感想(コメント)とは「薬というのは、国の研究所が開発しており、製薬会社はただ薬を売っているだけだと思っていた」だ。 そんなもんなんですな、医学生の製薬会社の認識なんて。。。。 2004年11月27日 |
『他人事』と『自分事』 |
会社、病院、医療チーム、大学、組織、チームは何でできているか? 全て「人間の集まり」だ。 もちろん、SOPやマニュアル、ルール、システム、慣習・・・・・・などの「仕事のやり方」がある。 その「仕事のやり方」どおりに人間が仕事をやっているかどうかが問題なのだ。 さらに、その「仕事のやり方」は誰が作っているかというと、これまた人間なので、そもそも、その「仕事のやり方」でいいのか? という疑問も有る。 こうなってくると、一番大切なのは、「個々の人間」になる。 言うまでもなく「人材(人財と書いてもどっちでもいい。言い方、書き方を変えたところでなんになる?)」を育てることが組織では一番大切になる。 仮に、これから新しい組織を作るとしよう。 あなたがリーダーなら、どうしますか? 当然「優秀な人材を集めてきたい」と思う。 新卒なら「優秀な大学」から集める。 中途なら「優秀な履歴」から集める。 同じ組織からの異動で集めるなら「優秀な実績」を参考に集める。 よし、みんな「優秀な人間」を集めたぞ、さー頑張ろう! と、ここまではいいが、これがそう簡単に行かない。(だから、どこの会社でも教育部門が有る。) 大学でも「教育」をやっている。 あるいは学会でもやっている。 「CRCの教育をどうするか?」 などだ。 ところで、「教育」とは「教え」「育てる」のだが、今の組織では「教える」のはまぁまぁできている。 しかし「育てる」のができていないのだ。 個々の人間が育たないと、組織も育たない。すると会社も育たない。 自らが学習する人間がいると、自らが学習する組織になる。すると会社も学習する。そして、成長していく。 逆に「今の若いモンは・・・(以下、単なる愚痴)」、「今年の新人は、まったく・・・(以下、愚痴)」、「うちの上司は・・・(愚痴)」、「うちの会社の経営陣は・・・(愚痴)」 こういう会社は遅かれ早かれ、朽ちて行く。 ところで「愚痴」の共通していることって、知っている? それは、全て「他人事」なのだ。愚痴の主語は常に、絶対に「自分以外の誰か」だ。 「まったく、俺ってやつはさ・・・」という愚痴はあまりない。(無いことも無いが。) つまり、全て「他人が悪い」のだ。 「今の若いモン」「今年の新人」「うちの上司」「うちの会社の経営陣」「今度来た新しいボス」・・・・・・全て、他人のことだ。 OK! きみの言うことは認めよう。確かに「今の若いモンはなってない」。そうだ、そうだ。っで、どうする? そこをきみはどうしたい? どう対応するつもり? 「まったくうちの経営陣は、現場を知らなさすぎる」。うん、うん、そのとおりだ。っで、どすればいい? 僕は何をしたらいい? きみは何をしてくれる? 今週だけでも、全ての『他人事』を、全て『自分事』として考えてみよう。 2004年11月20日 |
『リングに上がろう!』 |
ICHのGCPが発表されてから、日本では答申GCPが出された。 全てがICHのGCP通りではなく、一部、日本の都合で追加されたものもある。 たとえば「治験の契約は医療機関の長と治験依頼者との間で結ぶ」なんてのがそうだ。 ICHでも、各国の都合に合わせて項目を追加することを許している。 だけども、海外に本社を持っている外資系製薬会社だと、そのあたりの説明に苦慮することがある。 しかし、それはそれでいいのではないか? と最近(と言うか、木曜日の飲み会からだけどね。*)思ってきた。 その時の飲み会での話題が「日本は日本の独自の確固たる主張を持って、世界に問い掛けたらいいのではないか?」ということだった。 うむ。そりゃそうだ。 「グローバルスタンダード」と言っても、それは「アメリカ中心」だったりする。 21世紀も、世界のメインロードを歩くのが「アメリカ」なのかどうか、まだ分からない。 ヨーロッパは、ヨーロッパでEU連合という形で「対アメリカ」という論調を張ることもある。 さー、僕たち日本もグローバル展開するなら、そのリングに上がろうではないか。 世界を相手に戦うのだ。 なんでもかんでも、世界に同調する必要は無い。 まずは、リングにあがろう。 リングにあがるためには、「日本の主張」を持っていないと話にならない。 自分の主張があってこそ、初めて、世界と同じリングに立てるのだ。 リングに上がる前から、世界に同調していたら、単なる傍観者で、単なる従事者だ。 日本は日本なりの主張を持ってこそ、リングに立つ権利が持てる。 そして、世界を相手に戦えばいい。 そののちに、負けたなら、負けたでもいい。 あるいは、世界を相手に戦っていたら、どこの国からとも言わずに思わぬアイディアが出てきて、それを基に新しい基準ができるかもしれない。 世界で2番目の「薬消費国」であるから、日本の製薬会社以外の外資系製薬会社は当然、日本の市場を狙っている。 実は、たった、それだけのことで、「ICHに参加させてもらっている」というのは言い過ぎかもしれない。 しかし、人口的に言ったら、次は中国だ。 世界の目が中国に向いた時に、世界が日本を相手にしてくれるだろうか? ・・・・・・心配だ。 とにかく「意見」を持つこと、それがまず大切だ。その上で、世界中で論議をすればいい。 会社ではさ、自分の意見を持たないで、会議に出ても仕方がないよね? 「私(私たち)の『意見』はこれです。」 そこから始めよう。 *私信:「上海蟹、おいしかったですね^^。それにしたって、ちょっと真面目すぎじゃなかったですか? ・・・・・・と言いつつも、僕も結構、論議を楽しんでいました。 結局さ、なんだかんだと言っても、みなさん、仕事が好きなんだよね。また、やりましょうね。次回は是非、Yさん(風邪、なおりましたか? や他のメンバーの方もいらっしゃてください。お待ちしております。次回の幹事も、Iさん、よろしく!!」 2004年11月12日 |
『あなたの夢は?』 |
先週の日記は『私たちが望むもの』だった。 今週は『私たち』から『あなた』に、視線を向けたい。 あなたは、どんな人間になりたいですか? あなたは、どんな夢を持っていますか? そのために、あなたは、今、何をしていますか? 公平を期するために、まず僕のことを話そう。 僕は44歳。 日本人男性の平均寿命が88歳になったとは聞いていないので、多分、僕はもう人生の折り返し地点を回ったところだ。 かつて、フルマラソンのスタートに立った時、「いったい、このレースは終わるのだろうか?」と思ったものだ。 僕も幼稚園や小学生の頃に、自分が死ぬ時が来るなんて信じられなかった。 でも、こうして、生れて44年間もたつと、その間に家族、親戚、友人が次から次へと死んでゆく。 こうなると、否が応でも、そうか、やっぱり人はいつか死ぬんだ、ということを認めざるを得ない。 そうなると、フルマラソンのスタートから走り始めて、今、折り返し地点を越えたことを考えると、いろいろと思うことが有る。 たとえば、フルマラソンを3時間半で完走しようと思っていたのに、折り返し地点を過ぎたところで、すでに2時間が経っていたとしよう。 このまま、3時間半で完走する夢を果たすためにスピードを出すか(無理な相談だ)、それとも、目標を4時間に設定し直すかを迫られる(こちらのほうが現実的だ)。 いつか、どこかの日記で「成功者になる秘訣」は「成功するまで続けることだ」と書いた。 それはそれで間違い無い。 ただし、成功するまで続けられる意志が有るかどうかが問題となる。 デーモン部長の日記(■2004/11/03 (水) 「成功者とは」http://www4.diary.ne.jp/user/464327/)にも書いたが、「諦めきれないほどの夢」を、どう見つけるのかが、実はもっと大切だと思うようになってきた。 その夢を見つけるためには、まず『自分』を知らないといけない。 僕は中学生の頃から、漠然と学校の先生になりたかった。 何故かは知らないが、他人にモノを教えるのが好きだったし、教わったほうの中には、本人も驚くほど成績をあげた友人もいた。 他人にモノを教えるのがうまいかどうかは別として、「教える」という行為は理由も無く好きだった。 しかし、家庭環境やらもろもろの事情で、薬科大学へ進み、製薬会社へ勤務する。 ところが、そこでも他人にモノを教えたがるムシがうずいてくる。 そして、何回も転職して、いろんな職種についたが、いつでも、どこでも、他人に何かを教えたがっていた。 気がつくと、今、モニターの教育・研修担当者になっている。 無意識に(時には意識的に)、「諦めきれない先生への道」を僕は選択してきたのだ。 僕は人生の折り返しを過ぎたのはもちろんのこと、企業人としての寿命(定年)も、そろそろ視野に入ってきた。 僕の、これからの夢は、僕の意志(スーパーモニターを養成し、日本全体の治験の質を上げる)を継いでくれる人を探し求めることだ。 25歳の時には、目の前の仕事をどうこなすかで精一杯だった。(今でも、当時とさほど変わりがないが) 44歳になると、これからは、自分の夢をいかにして後世に繋げるかを考えないといけない。(例えば、このサイトやホーライ製薬の後継者探しだ。) ・・・・・・ということで、誰か、このサイトとホーライ製薬の管理希望者はいませんか? 任したからには、一切、口をはさみません。(ゲストブックには、コメントを書かせてもらいますが。) ただし、下記の条件を満たしていること。 ・サイト運営はボランティア活動であることを知っている。 ・いつも新薬開発に携わっていたいと思っている。 ・自分の次の後継者を探さないといけないことを認識している。 上の条件を満たしていて、こんなサイトとホーライ製薬でも運営してみたいという方がいらっしゃいましたら、メールでご連絡ください。あて先は horai_japan@hotmail.com です。(書類選考のみです。) 書類選考を通った方に、このサイトとホーライ製薬のサイトのアップ方法をお教え致します。あるいは、「医薬品ができるまで」という名称と「ホーライ製薬」という名称を使ってサイトを作ってもらってもいいですし、名前を変えても構いません。 このサイトの継承であるということだけを明示してもらえば、それで結構です。 お申し込みの「締切り」は僕の余命があと半年と宣言されるか、僕が50歳になるまでの、どちらか早いほうです。 お待ちしております。 そうそう、ところで、あなたの夢はなんですか? 2004年11月6日 |
『私たちが望むもの』 |
私たちが望むものは「生きる希望」であって、「死に行く絶望」ではない。 私たちが望むものは「治験が正しく早く促進される」ことであって、「規制されたうえの進路妨害」ではない。 私たちが望むものは「1日でも早く新薬を世に出す」ことであって、「自分の部署を守る」ことではない。 私たちが望むものは「病気による苦しみを少なくする」ことであって、「事なかれ主義で出世を目指す」ことではない。 私たちが望むものは「きっと、いつかはこの病気を治す薬が出るはずだ、と患者さんに希望を持っていてもらいたい」ことであって、「権限を勝ち取り、自分の部署を際だ立たせよう」ということではない。 ひとつの薬を世の中に出すには、多くの人たちの「協力」が必要なのであって、他の部署からの「横槍」ではない。 ベッドで新薬を待っている人たちが求めているのは、製薬会社等の人たちが、自分たちのために、一致団結して、研究開発をしてくれることであって、同じ会社の中での足の引っ張りあいではない。 製薬会社も会社である以上、どんな業界の会社とも同じ共通の悩みを持つ。大学や役所の内部もそうだろう。 派閥、官僚主義、自分の都合しか考えない人、自分の出世のために他人を貶めようとする人。 人間が一人の時、そんなことは思いも浮かばない。 しかし、『人間が三人集まれば、派閥が生れる』という言葉が有る。 私利私欲も含めて、人間なんだから、しょうがない。 ところで、患者さんが望むものはなんだろう? 2004年10月30日 |
『せめてもの願い』 |
俳句をやり始めて、あらためて思ったことは「俳句は運動量が少ない趣味だ」ということだ。 ・・・・・・冗談はさておき、俳人の正岡子規にしろ、詩人の立原道造にしろ、結核で亡くなった。 『結核菌は一万年前、すでに人類の肺に感染していたと考えられているられています。 1882年になりコッホが結核菌を発見し、結核の正体は明らかになりました。 しかし、その後も1940年代まで、日本人の死亡原因のトップは結核によるもので、年間15万人以上の死者がありました。 ツベルクリンやBCG注射が1932年にはじまり、1944年のストレプトマイシンの発見や栄養異様や状態の改善と清潔な街ができ感染症は次第に減ってきました。 かつては、各地の療養所は胸部外科医が大活躍し、病気の肺を切り取ったり、肋骨をはずして空洞をつぶしたりで連日手術に明けくれていました。』 ・・・・・・とのこと。(http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~asano312/kekkaku.htm) 僕の父も結核で療養所生活を送り、高等学校へ進学できなかった。(ついでに、僕の母親とその療養所で知り合った。) 細菌やウイルスとの戦いは終りの無いマラソンレースに例えられる。 ある病原菌に効果が有る薬が発明される。 それを使うと、最初はもちろん効果が出て病気が治る。 しかし、ある日、その病原菌が薬から自分を守る能力を持ってしまう。(この能力を持った病原菌を薬剤耐性菌という。) すると、また同じ様な病気が流行する。 そこで研究者は、また、新しい薬を追い求める。 しかし、ある日・・・・・・ この繰り返しを、続ける。 ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者である夫の俳句日記集に、こんな素敵な俳句が有る。(教えてくれてありがとう!) 桃咲くと一つこの世の闇消ゆる 折傘美秋 こみあげるものあれば押す木の葉舟 折傘美秋 ( 闘病日記等の本⇒ http://homepage3.nifty.com/paramedica/toubyouki1.htm ) 宇宙物理学者のホーキング博士もALSだ。 僕の親友のわしさんは「脊髄小脳変性症」だ。 どちらも、まだ病気を完全に治す薬は無い。 有ったとしても、せいぜいが、病気の進行を遅らせる程度の薬である。 どこの製薬会社、CRO、SMO、病院、大学、研究所に居たとしても、病気と薬の研究開発に関わっている人は、1日でも早く、これらの難病の薬も含めて、新しい薬(より効果が有り、より安全性が高い)を追い求めている。 また、直接、研究開発に携わっていなくても、例えば製薬会社の経理の人であっても、究極の業務目標は会社の資源を有効に活用し、無駄遣いをさせずに、なおかつ、治験が早く進むような課題を抱えて、働いているはずだ。 さらに、研究所のお掃除をしてくれているパートの皆さんも、研究者が働きやすい環境作りに関わっていると言える。 僕がここで、こんな他愛の無い文章を書いていることが、少しでも(せめてパートのお掃除の人たち位には)、新薬開発に関わっていると言えるようにはなりたい。 2004年10月23日 |
『薬物』との戦い |
『薬物』と聞くと何を思い出します? 普通の薬? それとも麻薬? 覚せい剤? ひとによっては、アレルギーや中毒という言葉が浮かんだことでしょう。 ところで、昨日(2004/10/15)から『金八先生』が始まった。 このシリーズでは毎回、いろんなテーマを取り扱ってきた。 中学生の妊娠、校内暴力、性同一障害・・・・・・等など。 その時期、時期にもっともホットな話題をテーマにしていた。 今回のシリーズでは『ドラッグ』(麻薬、覚せい剤)がテーマの一つになっているようだ。 それだけ麻薬汚染が低年齢化していることなのだろう。 例えば覚せい剤(法律上、「麻薬」と「覚せい剤」は違う)では、覚せい剤使用による中学生、高校生の検挙者数は、昭和40年代が1%前後だったのに対し、平成9年では少年の検挙者数は全体の7〜8%に達したそうだ。今はもっと多いだろう。 (http://www.hokenkai.or.jp/3/3-2/09.html) 僕たちが普段使用している薬の中にも麻薬が含まれているのが有る。 例えば「リン酸ジヒドロコディン」だ。 これは、市販されている「咳止め」にも使われている。 一時期、ある有名な「咳止め」シロップの一気飲みが問題となって、そのシロップ剤は一気飲みが出来ないように容器のデザインまで変えた。 最近では中学生の授業に必ず「麻薬、覚せい剤」についての授業が有る。小学校でやっているところさえ有る。 こういうテーマの授業の時に、地元の薬剤師が呼ばれて講師をやっているらしい。とてもいいことだと思う。 中学校や小学校の校内の壁に「ぜったいに手を出さない!ダメ! 麻薬、覚せい剤」というポスターが貼って有る。 こんなポスターが学校内に貼ってあること自体が、ドラッグ汚染が低年齢化している証拠だ。 (ちなみに、僕の頃は「線路は止まろう!」とか「横断歩道を渡ろう!」という「交通事故防止」関係が多かった。) 繁華街に行くとティッシュを配っているが、その中に「白い粉」が入っている袋を忍び込ませて中高生だけを狙って配っている人がいる。 僕も一度だけ目撃したことが有り、警察に届け一緒に駆けつけた時には、もういなかったという経験が有る。 新宿や上野あたりで、妖しげな日本語で「ヤク有るよ」と話し掛けられたことも有る。 ハワイ等にいくと、しょっちゅうだ。 こうした薬物が何故、はびこるのか? それは「お金」になるからだ。 暴力団の(或いは、ある地域、国の)重要な資金源になっている。 ドラッグには「身体的依存性」と「精神的依存性」が有る。(タバコも、「精神的依存性」という観点からは一種のドラッグだ) 人間の心は弱い。 ある種の恐怖、ストレスから逃れるために覚せい剤や麻薬に手を出す人もいる。 ちょっとした好奇心から始める人もいる。 すると、脳はそれを無限に欲しがるようになる。 僕たちが開発している薬も、非臨床試験で「身体的依存性」や「精神的依存性」を調べる。 また、精神科領域や不眠症の薬の治験では、Phase-Iで、それらのことも調査する。 薬は病気から人間を救うが、人間を病気(依存性に限らず)にすることも有る。 このようなことを避けるためにも、僕らには冷静な判断力と分析力が要求される。 麻薬の歴史について ↓ http://www.airgreen.co.jp/hemp/hemp%20history.html 覚せい剤の歴史について ↓ http://www.hokenkai.or.jp/3/3-2/09.html しかしなぁ〜〜〜、シリーズ最初では若き熱血漢の金八先生だったが、今では哀愁漂う中年の先生だ。 しかも、最初は金曜日の夜8時から番組が始まった(だから「金八」だった)のだが、最近では、この時間は子供たちは塾にいる。 だから、今回のシリーズでは、金曜の夜10時から番組が始まる。 20年も経つと世界も変わり、武田鉄矢も変わる。 そして、僕も。 2004年10月16日 |
「治験ネットワークが立ち上がり始めた」 |
全国、各地で独自の治験ネットワークが次々と立ち上がり始めた。 歓迎すべきことだ。 このネットワークの元になっているのは、各地の基幹病院だったり、治験を既に何回も受けているベテランの医師がいるところだったりする。 これもまた別に問題無い。 各地で広がりつつある治験のネットワークという現象で、僕が唯一、心配しているのは『治験は金になる』という安易な発想で、『金儲け主義』だけでやり始めたところがないだろうか? ということだ。 もちろん、治験は『ビジネス』になる。 SMOやCROの存在が、その最もいい例だ。 しかし、ただのビジネスではないことを、普通のSMOやCROなら認識している。 このビジネスには、人の命がかかっている。 さらには、治験に参加された方の人権、安全及び福祉を最優先に考えることを忘れてはいけないビジネスだ。 そのために、製薬会社はもちろんのこと、CROやSMOも、それらをどう守るかを真っ先に考えるし、そのような教育体制にしている(はずだ)。 「GCPもよく分かりません」なんていうところが、治験はビジネスになると思って地方で治験ネットワークの中心になっていないか? それが、僕が唯一、危惧している点だ。 もちろん、治験のネットワーク化はいい点もあるし、悪い点もある。 それでも、治験についての認識が広がりつつあるということは喜ばしい。 しかし、・・・・・・ここでも、また「しかし」だ。 しかし、治験がビジネスになるという認識だけが、金儲け主義や営利主義の人たちの間だけに広がっているのでは、あまり喜ばしいことではない。 まぁ、きっとこれらのことは、僕の杞憂でしょう。 (杞憂であってほしい・・・・・・。) 各地で広がり始めた治験のネットワークが金儲け主義による人たちで行われていないかどうか、そこを見抜くのも、治験依頼者の責務だと思うし、これからは、それらを見抜く調査力が必要になってくるだろう。 2004年10月9日 |
「妄想的多忙症候群」 |
ホーライ製薬に10月1日付けで入社されたパピヨン750さんの投稿に、「無駄は嫌い」と有ったのを見て思ったことが有る。 いわゆる「心の余裕」としての「遊び」は好きだが、『無駄』は僕も嫌いだし、『無駄に忙しい』のはアホらしいと思う。 なんだか毎日、毎日残業している人がいて、それが『本当に絶対に不可欠な仕事』で残業しているのならいいのだが、自分で気づかずに『無駄な仕事』をしている人もなくは無い。 その昔、僕がフランス系外資の製薬会社で働いていた時に、実に『仕事の手を抜く』のが上手い同僚がいた。 彼は、決して無駄なことはしないのだ。 みんなが必死になって夜遅くまでやっている仕事を「これって、こうすればいいんじゃないの?」と言って、一夜にして、その仕事を省くアイディアを出してくれた。 また、彼は「これって、本当に必要なの?」と、いつも言う。 つまり『仕事の手を抜く』ということは『仕事の重要性・重要度を理解している』ということなのだ。 仕事の重要性・重要度が理解できていないと、『なんでもかんでも一生懸命頑張る』ということになる。 また、そのフランス系外資の製薬会社ではデッドラインが無茶苦茶厳しいので、いかに無駄な仕事を減らすかを常に考えていないと、やっていけなかった。 これが、デッドラインが簡単に動く会社だったら、頭がそちらまで回らないだろう。 仕事をいかに工夫して効率化するか?という状態に追い込まれないのだから。 「忙しい!、忙しい!」と言う人は、全般的にプライオリティの付け方と仕事の効率化ができていないことが多い。 (或いは「全ての仕事を自分で抱え込まないと気が済まない人」だ。) 「もし、できたらいい」と「絶対に欠かせない」は違うのだ。 その区別ができない人がいる。 これらの人を、ここでは「妄想的多忙症候群」と呼ぼう。 この手の「妄想的多忙症候群」の人たちは、残業で疲れるのでミスをしやすくなる。 それだけでなく、もっと恐いことは、致命的なミスを犯すことが多いということだ。 すなわち『本当に大事なことを見逃す』のだ。 またまたホーライ製薬の話だが、9月17日からずっと「アクシデントの防止策」について検討している。 そのうちヒューマンエラーの原因の一つとして『時間切迫(time pressure)』が有る。 これが結構多い。 あなたも忙しい時に限って、大きなミスを起こしていませんか? これは、モニターの業務にしても同じだ。 たとえば、無茶苦茶、細かいところをしつこく徹底的に追求するQCやQA、上司がいたとしよう。 すると、些細なことでモニターは超多忙になる。 手続き論的なこととか、本質にかかわらない重箱の隅の極めて些細な誤字を訂正することばかりに追われていて、肝心のSDVが全然できていない、ということがないだろうか? 依頼手続き関係の書類の訂正にばかり追われていて、治験責任医師がプロトコル違反していたことに気づかなかったりとかね。 これでは本末転倒だ。 仕事の基本は『時間内に終わらせる』ことだ。 限られた人数と限られた時間内でやるべき仕事を把握しよう! 「自分で不必要な仕事を作る」人も多い。 自分では絶対に必要だと思っているから、多分、そのことに気づかない。 でも、そのおかげで、もっともっと大切な、重要な仕事に時間をかけられなかったりして、致命的なミスを犯してしまう。 こんな時は、第三者に「こういう仕事・資料が必要だと思うけれど、どう思う?」と聞くといい。 本当に会社の都合上、キャパ以上の仕事が有り、どれもこれも重要!ということで残業をしている人も、もちろんいる。 そういうことは、「時には」、本当に有り得ることだ。 でも、よ〜〜く考えると、そうでないかもしれない。 「忙しい!、忙しい!」ということは「私は時間管理ができていません」と公言しているのかもしれない。 僕は『無駄に忙しい』のはアホらしいと思うし、貴重な人生を無駄にしていると思う。 2004年10月2日 |
自分のポリシーを作ってみる |
先週の続きです。 昨年(2003年)の9月に製薬会社の企業理念やポリシー、バリュー等と呼ばれているものを各社のサイトから集めたことが有ります。(↓) http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9874/policy/policy.htm ご覧頂くと分かるように、各社大変素晴らしい。 そこで、読者の皆さんも各社のポリシーを見ながら、自分なりのポリシーを作ってみてはいかがでしょうか? 僕のポリシーはホーライ製薬のポリシーにもなっている「やらなければいけないことは最低限。やりたいことは最大限。」と「さっさとやっちまえ。 」です。 もし、皆さんが自社のポリシーは自分に合っていると思うなら、それでもいいでしょう。 もし、「会社からの押し付けのポリシーは嫌だ」というのなら、自分で作ってみましょう。 そして、大切なのは、このポリシーを額物に入れて応接間に飾っておくことではなく、常に頭に入れて行動することです。 何か迷ったら、このポリシーに戻る。 あるいは、「いつも自分はこのポリシー通りに行動しているか?」を毎朝、考えてから仕事に取り掛かる・・・・・・等など。 ただの飾り文句にしないことです。 そして、世界が大きく変わり、自分のポリシーではやっていけないことを悟ったなら、また、新たなポリシーを考えてみましょう。 ただし、繰り返しますが、大切なのは『行動』です。 行動して、初めてポリシーは威力を発揮します。 行動して、初めてポリシーが正しいのか、間違っているのかが分かります。 蛇足ですが、ポリシーは「簡単で覚えやすいもの」がいいですね。 覚えられないポリシーを作っても、意味有りません。^^ そして、できるだけ「日常語で作る」ことです。 だって、それは僕たちの日常の行動のポリシーであって、『特別な行為』にしてはいけないのですから。 2004年9月25日 |
開発マインド |
たいていの製薬会社には『開発部』というのが有る。 名前は各社によって違うだろうが、要は新薬の開発を行う部門だ。 実は先日、古くからの友人と久々に会って話していた時に、この「開発」という言葉に話題が飛んだ。 僕たちは、新薬を「開発」している。 では「開発」とは? 大辞泉の中から、その意味を拾うと・・・・ A.新しい技術や製品を実用化すること。 B.知恵や能力などを導きだし、活用させること。 似たような言葉に「開拓」というのもある。(同じく大辞泉より) C.新しい分野・領域・進路などを切り開くこと。 僕たちがやっている新薬の開発には、上記のA,B,Cの定義が当てはまるだろう。 新しい技術(例えばDDSや遺伝子組替え)を利用して、実用化し、新薬の種を作る。 新しい治療方法・治療領域を切り開く。 そして、そのために「知恵や能力などを導きだし、活用させる」。 では、その僕たちのいる組織の内部はどうか? 「開発部」の名に値する組織だろうか? 僕とその友人の答えは「ノー」だった。 会議において、どー考えても、それは「非効率的だ」とか「それはGCP上、ちょっと問題になるんじゃないの?」という質問をしても、答えは「以前からやっているから」とか「他社でもやっているから」となる。 「は〜〜??」だ。 それって「開発パーソン」の言葉か? 会社によっては、会社の企業理念をカードにして、全従業員に持たせているところも有る。 そこには、とっても「いい言葉」、「美しい言葉」、「誰が見ても素晴らしい」言葉が書かれている。 ホーライ製薬のポリシーみたいに・・・ 1.やらなければいけないことは最低限。やりたいことは最大限。 2.さっさとやっちまえ。 3.「仕事と遊びを区別してはいけない。そして、それを一瞬たりとも疑ってはいけない。」 4.いつもニコニコ、明朗会計 ・・・なんていうのは無い。 だいたい、どこの製薬企業のポリシー、理念とも同じだと思うが、そのカードには「患者様貢献企業」とか「患者さんを一番に考える」とか「生命企業として高い倫理観を持つ」とか「常に革新を目指して」とか、まぁ、そんな美辞麗句が書かれている。 しかし、内情は? 従業員の「行動」と「思考」が、その美辞麗句に、ついていってない・・・と思う。(ついていっている会社は偉い!) 「建前」だけが、そこに列挙されている。 ところが、「こんなカード、無意味だな」と僕は思っていたのだが、ある会議で役にたったことが有る。 例えば、ある会議で、『治験における「補償」を会社としていつまで続けるか』というような会議だったとしよう。(これはあくまでも「たとえ話」ね) 内容の詳細は企業秘密になるので触れないが、まぁ、会議に出席している全メンバーが持っているはずの企業理念カードとは、ほど遠いものだったとしよう。 そこで、僕はキレた。 で、例のカードを出して「これ、皆さん、持っていますよね? 今のような会議をやっているなら、これ、捨てなさいよ。『*****企業』なんていう言葉を会社の看板から、外したら?」と、吐き捨てた。(*****は、美辞麗句のフレーズ) ・・・というようなことを、実は僕の親友もやっていたことが分かった。 二人とも、大笑いした。 『開発部』の皆さんへ。 まずは、自分たちの仕事の『非効率性』や『慣習』や『他社の模倣』や『他社がやっているから、というなんの理論武装にもならない根拠に基ずく判断』を止めて、真に「開発部」の名に相応しい人間になって考え、行動してみませんか? 簡単です。『自分の頭で考え、自分で決断し、自分で行動する』だけです。 SOPがおかしいと思ったら、指摘して、変更してもらえばいいだけです。(あなたの考えが正しいならば) 損はないと思いますよ。 2004年9月18日 |